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2017年5月

東京へ活動の拠点を移すことが決まり、作曲。

距離が離れてしまったとしても、気持ちが離れないようにというメッセージを込めて。

仙台やお世話になった方々に向けた思いを込めて

アコースティックギター一本ながら、心地よい旋律と、そのバックにイメージさせるグルーブが肝。

2017年4月

Chocolate 【The 1975】

定禅寺ストリートジャズフェスティバルに出場したいということでバンドを組む。その名も「定禅寺対策バンド(JTB)」

そのバンドの結成のきっかけは昨年の2016年の定禅寺、バンドのヴォーカルの馬場さんとキーボード優子さんとジャズフェスを観戦しながら、酒を飲んでいて、滝前ステージで気持ちよさそうに演奏する人々にひどくうらやましさを感じたことである。

​気の合う4人で織りなす音楽はかなりgood!!

2017年2月

新月

「新月」という言葉の意味を知らなかったが、月が見えない夜に出くわした際に教えてもらう。

その衝撃とロマンチックさから曲が生まれた。

新月に願いを託すとしたら自分だったら何を願おうか。そんなことを考えながらギターをつま弾き曲が完成。

この曲は二日間で仕上げたが、Aメロとサビは別の日に作ったため、曲の中で少々テイストが変わる部分があるのはその二日間のテンションの違いのせいである。​

普段はアコースティックで弾くがこの動画はエレキギターで演奏。

エレキギターの音色も大好き。

2017年2月

The kelvin「再開編」

高校時代に組んでいたバンドThe kelvinのボーカル友嗣(トモツグ)の結婚式の二次会にてほろ酔い状態ながらもオリジナル曲「The kelvin」を披露。

自分の生み出した曲がみんなの共感を生むことに感動した夜であった。

この他にもいろいろと一緒に演奏したが、久々の旧友との演奏は格別、いつかThe kelvinのメンバーでまた演奏したいねなんて、お互いにいいながら...

2017年1月

Phase

​2017年になり、自身のフェーズを次の段階にもっていかなくてはという思いを込め作曲

youtubeサムネイルの絵はイラストレーターのハツカミムーニーさん作

 

2016年12月

クリスマスイブ

2016年の11月に出会ったシュガーボーイとの初のコラボ、仙台ステーションラウンジにて二人でクリスマス企画ライブを開催。

2016年9月

The Kelvin

高校時代に組んでいたバンド「The kelvin」のボーカルからの祝報を受け、当時を想い作曲。

2016年9月

風の向くまま

福島県いわき市の小名浜シーサイドホテルに宿泊した際にうけた衝撃を元に作曲した曲

港町で暮らす惹かれあっているが、結ばれることのない二人を歌に込めて。

2016年9月

定禅寺ストリートジャズフェスティバル

父親とのユニット「JANGO」で定禅寺ストリートフェスティバルに出演。少しでも注目を集めようと、グラミーアーティスト”ジョンメイヤー”をテーマにパフォーマンスをするが、周囲にジョンメイヤーを知る人は少なく、作戦は失敗。しかし、楽しかった。

2016年7月

Message

​手紙を貰い文字の温かみを感じた際に作曲。自分の字が汚いので、人に見せれるように上手になりたいと強く思うが、字を書く習慣はそう簡単にはつかず、現在も私の字は汚い。

2016年6月

Crazy Funk

​Underdogの馬場さんが作詞作曲したものを遠藤翔太がリメイク。リメイクした当時もともとの歌詞の意味は分からなかったが、「Crazy Funk」という言葉から、いろいろな情景が頭に浮かび、求め続けた男と、去りゆく女の激情を表現。

2016年5月

旅立ちの唄

姉の結婚式に向けて初めて書いたウエディングソング。姉へのメッセージはもちろん母や故郷盛岡へのリスペクトを込めて、

父親の遠藤泉と一緒にコラボして演奏。

普段の姉はツンデレな性格だったが、結婚式当日のライブ演奏では姉もとても喜んでくれました。

姉が俺のプレゼントに対して喜んでくれたのはこれが初めてかも。

といっても、これが初めてのプレゼントだったかもしれない(笑)

2016年3月

Tube riding

仲のいい友人である市川君がサーフィンを始めた。彼のサーフィンを一度見に行って、その奮闘ぶりにインスピレーションを受けて作曲。サーフィンに人生や日常を重ねてみた。

市川君も今や夏秋春はもちろん真冬の超絶寒い時もサーフィンに乗るようになり、リアルサーファーとなっている。

その後俺も誘われて彼のボードをお借りしてサーフィンをしてみるが、その難しさと自分の肌の白さとお腹のぷにぷにさと、

隣で優雅にサーフィンを楽しむ女性の脇で逆さにひっくり返ってしまう恥ずかしさから、断念。

彼がいつか俺にtuburidingを見せてくれることを期待しながら、俺はこの曲を歌い続ける。

2015年10月

俺たちの妄想

生きていれば不甲斐ない自分に悔しい思いをすることも多々ある。

またもやこの曲を書いていた時も仕事面で辛く、理想と現実の狭間でいつものように頭を抱えていた。

同僚と二人きりの車内で、仕事でうまくいかない時に曲を作ったといってこの曲を聴かせると、

歌が始まって3秒で車内が爆笑の渦に...

2015年7月

彩daylight

[衝動]をテーマに作曲。隠れてばかりで暗い気持ちになるのであれば、いっそのこと外に飛び出そうというメッセージを込めて。

ed sheeranの楽曲スタイルに影響を受け、ノレることを重点をおき仕上げる。

この動画は2016年の夏に仙台ネオブラザーズで演奏した際のライブ模様。

実はこのライブの当時は痛風になりたてで、左足に激痛を抱えながら痛み止めを服用してなんとかこなしたライブであった。

2015年4月

Eyes Wide Shut

優勝したらドイツの音楽フェスに出演できる「エマージェンザフェスティバル」の予選を勝ち抜き、準決勝に進んだ際に、「遠藤翔太」を印象付ける武器(曲)を作らなくてはと思い、すぐに作曲に取り掛かり完成。

いまでも自分の中では十八番になっている。

エマージェンザフェスでは観客の挙手による投票で競うため、「下から上に手を上げるんだぜ」などと歌に願いを込めている。

結果は力及ばず(汗)

当時の奮闘ぶりはyoutubeにフルパフォーマンスでのせているので要Check!!

2014年11月

雨降る川に橋をかけよう

寒い日のドライブ、雨が降っていた。

捨てる神あれば、拾う神あり。そんな曲。

2014年7月

La france (ラフランス)

ふとした瞬間に香るLafranceにインスピレーションを受けて曲を制作。コード進行は単調だけども、導入からサビ~エンディングまでの流れにとても起伏があり自分的にもお気に入りの曲。ライブでは盛り上がること多々←自分的に(笑)

内容はやるせないラブソングに仕上がっている。

2014年7月

オーバーオール

ファッションセンスがあまりない自分に向けて、これでいいのさという開き直りを込めて作った曲。

当時ダンスミュージックの影響でシンセサイザーを購入し、それを試しに使ってみるがあまりしっくりこないので、もうそのシンセサイザーはお蔵入り状態である。

あまりPCや機械に向かって曲を仕上げるのは好きじゃないのかもしれない。​

ちなみに、オーバーオールは故Cafebbの横塚のマスターがずーっときてたファッションアイテム。

今考えるとマスターと自分を少し重ねて意識した部分があるかもしれない。

2014年2月

Crazy&Happy Life

この曲を作った時のことをあまり覚えていない。。

まぁそういう時もある。

2013年3月

面影

当時の俺は髪がすこし短かっ.. あ、曲とは関係ない(笑)

​当時色々なコンプレックスがあった自分の情けなさを歌いつつ、温かさを求め続けた当時を表現している。

2012年冬頃

答えはいつもNo

職を転々としていた当時、何をやっても上手くいかず、行き詰っていた時にひねり出した曲。

当時は休日によく海へ出かけ、ぼんやり眺めるのが好きだった。

動画は2016年に当時の曲をリメイクしたもの。

2012年9月

lovely girl

なんとも小恥ずかしい曲のタイトルだが、何歳になっても海で遊ぶ女性を見るのは悪くない。

きっと俺はオヤジになっても、夏になれば海へ出かけるだろう。

この動画は2013年 東京で活動する田宮俊彦さんが主宰する企画、CafeBBで行われた時の模様。

だいぶループマシンの使い方もこなれてきた。

2011年8月

弱くてもいいさ

社会人一年目。初任給を叩いてローンで買った中古車は一週間でぶっ壊れ、心のより処にしていた横塚マスターは亡くなり、入った会社では上司にいじめられ、早々に病んでしまい入院。※毎朝40度を超える熱が続く不明熱(苦笑)

いろいろと厳しい世の中を思い知らされた自分が病院のベッドの上で作った曲。

病室にギターを持ち込んだことで看護師さんたちに驚かれたが、それどころじゃなかったので全然気にせず、体調がいいときはひたすらギターを弾いていた。※感染症用の個室だったため、周りの患者には迷惑をかけておりません。

今ではあまり演奏しないが、実は今でもたまに落ち込んだ時はつま弾く

2011年5月

貴方のいる場所から

学生時代から長いことお世話になっていた音楽バーCafebbのマスターが病気で倒れ死去。

音楽的師であった横塚マスターに向けた想いを歌に込めるべく作曲。

学生時代、貧乏学生だった俺に音楽との向き合い方を教えてくれたのは横塚マスターであった。

この動画は2015年に父親とのユニットJANGOでアレンジして演奏したもの。

ちなみに、横塚マスターの写真は現在実家(盛岡市)のリビングにもしっかりと飾ってもらっている。

サムネイルは当時の数少ない横塚マスターとの2ショット写真を使用している。

2011年4月

Somecoins

Somecoins(小銭)という曲、当時の俺の曲はなかなかブルージー。

なぜかというと、これもまたCafeBBが影響していたのかも。

当時のBBにはあまり若者は来なかったので、マスターをはじめ耳の肥えた先輩方にいかに響くかを念頭に置いて、自分もまたその中に浸かって曲を作っていた。

当時の身の丈に合った歌詞と、身の丈に合わないブルージーなメロディが売りだったのかと今になっては思う。

こちらの曲も今でもたまにライブで演奏をする。

※動画は2014年に父親と盛岡で撮影した際のもの。二人で定禅寺ジャズフェスに応募したものの落選してしまいショックのあまり撮影した動画。

2011年3月

釜石の空

東日本大震災の後すぐに作曲。小学校3年生の時を釜石(岩手県沿岸の港町)で過ごした一年間の記憶がフラッシュバックし、すぐに出来上がる。

当時の仲間たちの無事を祈り、歌に託した。

意外なことに、この曲がかなり評判がよく、多くの皆さんに気に入ってもらえリクエストをされることも多々。

※動画は2015年に父親と演奏した時のもの

2010年11月

すべてが消える前に

2010年11月大学を卒業する前に思い立って、アメリカ横断に出かける。シカゴからロサンゼルスまで旧国道のRoute66を横断。

憧れの道路をただ2週間ひた走り、日本に帰ってきてすぐに作った曲。

当時飛行機代、レンタカー、宿泊費、もろもろ雑費込で20万円という完全ボンビーな旅行であったが、​そこで見たもの話した人の記憶は今でも胸に焼き付いている。気持ちのoutputはどんな形であれ必要だと実感。

2010年10月

Route66

ナットキングコールの名曲でありスタンダード「Route66」を自分なりに消化して、オリジナルに仕上げた。

サビの地名を読み上げる部分は「Route66」を大いにリスペクト。車をテーマに歌っているが、ちなみにこの曲を書いた当時は車を所有しておらず、俺は原チャリに乗ってどこまでも駆け抜けていた。

​映画のCarsからも影響を受けた。

※動画は仙台市にあったブルースバー「HEAVEN」にて

2010年秋

夢は君の胸を離れた

当時KT Tunstallに衝撃を受けてルーパーを購入。自分のギターや歌声をその場で録音して演奏に加えていく手法を学ぶ。

「夢は君の胸を離れた」という曲を作ったことで少し自分の方向性が見えた気がした。

ここでのルーパーとの出会いが俺の可能性をぐっと広げたのは間違いない。​

2009年夏

未来

大学時代、時間だけが沢山あった。刻々と過ぎていく時間に焦りを感じつつ、何もできていない。

幼いころに自分が思い描いていた20歳と、現実の20歳とのギャップに勝手に衝撃を受ける。

そのギャップの差を埋めることは当時も今も変わらず自分の課題であるが、この時に作った曲はその葛藤をうまく表現していると思う。

「未来」よ、俺に背を向けないでくれ。

※動画は2015年6月にCafeBBで演奏した際の模様

2008年の夏

店の灯り

2008年 当時通っていた仙台市泉中央Cafebbのマスターを想い作曲。

この曲を大変気に入ってくれて、酔っぱらうといつもマスターにリクエストをされていた。

ちなみに、「店の灯り」という題名をいつも「町の灯り」と間違えられていた。

​「翔太あの曲を歌え、ほら、えーっと、あれだ!。街の灯り」ってな具合に。

​この動画はcafebbでの撮影ではなく仙台市内のバーchoponzで演奏した際のもの。

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